医院長プロフィール

医院長 井下 万也(Kazuya Inoshita)

歯科医師/歯学博士(研究題材=抗菌剤体内動態/甲論文)
日本歯科医師会/東京都歯科医師会/府中歯科医師会会員
所属学会=
日本口腔外科学会//日本化学療法学会/日本感染症学会
歯科薬物療法学会評議委員/日本糖尿病協会会員
東京都介護支援専門員/府中市介護認定審査委員
府中市立第6小学校学校歯科医師.日本/東京都学校歯科医師会会員
JFA(日本サッカー協会)3級審判員
JBC(日本ボクシング協会)認定セコンド(失効)
4級船舶操縦士/大型2輪免許/ITIインプラント認定医
武蔵倶楽部(調布市サッカー協会所属)監督及び代表
パウゼSC(府中市サッカー連盟所属)代表
井下 万也
昭和48年4月
府中市立第5中学校入学
昭和52年4月
東京都立武蔵高等学校入学
昭和55年4月
日本歯科大学歯学部入学
昭和61年3月
同卒業
同年5月19日
歯科医師国家試験合格
歯科医師免許受領
同年6月1日
日本歯科大学歯学部口腔外科学第1講座入局
昭和62年4月
日本歯科大学歯学部大学院歯学専攻科臨床系(口腔外科学)入学
昭和63年4月
東海大学医学部口腔外科内地留学
平成3年3月
同大学院卒業・歯学博士号拝領
同年4月28日
先代井下博恵逝去
(享年55・前府中市歯科医師会会長)
同年5月1日
井下万也開設者として『いのした歯科医院Ⅲ』開設 現在に至る
同年6月1日
府中市歯科医師会加入(広報/保険整備/訪問歯科各委員)
同年6月
東京歯科衛生専門学校非常勤講師拝命(歯牙解剖学)
同年6月
府中第6小学校学校歯科医師拝命
平成19年
東京都介護支援専門員資格取得/府中市介護認定審査員拝命
平成21年
府中サッカーリーグ年間MVP受賞(シニア40部門)
※パウゼSC監督としてリーグ戦平成21年3位、22、23年優勝、24年準優
平成24年
日本歯科薬物療法学会評議委員拝命
平成25年
日本調理アカデミー非常勤講師拝命(公衆衛生学)
平成27年
府中市市制60周年記念式典にて保健衛生感謝状、福祉功労賞W授章
勝 令和4年
還暦予定

いのしたwiki

  • 1、 出生地=親の実家である港区飯倉(ロシア大使館対面)、その後四国へ。
  • 2、 小2で上京、府中2小転校。小中高すべからく担任大外しであったが友人には恵まれ、総 じて楽しい学校生活であった。
  • 3、 澤穂希、中村憲剛を輩出したフロクサッカークラブは1学年下が第1期(高山先生創設)6 年生の秋、自宅兼歯科医院が現在地(校門前)に転居し通学時間1秒に。
  • 4、 俊足で中3年時には五中最速も市の大会では4位。脳内はFOOTBALL&ROCK(ロンドンのならずもの風)中学受験失敗で荒れた5中へ入学しヤンチャなグループに所属、左系教師共から忌み嫌われるもそれを逆境として発奮→学業上位。暴力教室サバイバルも楽しい思い出ばかりである。マンガに才があり将来の職業候補に真面目に漫画家を考えていた。天分は自他ともに認めるところでたぶん歯科より上。
  • 5、都武蔵はひとめぼれの第1志望。サッカー部入部後すぐに骨折、復帰後は部活に没頭。1期上の先輩方は神揃いで今でも頭上がらない。快足を生かした右MF・2年時にはレギュラーゲット。夢のような3年間はあっという間。今も多くの同級生と家族ぐるみの交流あり、現在も続く32期統一クラス会では学年代表。北大志望だったが父の説得で歯学部 に針路変更。
  • 6、大学は初の“私立”。老舗校のウザすぎな『主義』『こだわり』に最後まで馴染まず。4年以 降クラスにやっと馴れてそれからは楽しい学生生活に。サッカーから一転体育会ボクシング部所属した。重要紹介先医院である小金井の岡一輝はインターハイ高校王者で全日本3位、部長の彼に薫陶を受けボクシングの道へ。最初は向いてないと思ったが意外に筋があったようで、強くなるにつれてドハマりしていった。
  • 7、 サッカーは高校卒業後府中社会人1部チーム主宰、その後長谷大先輩(後の水産庁長官)に誘われ都社会人リーグ=武蔵倶楽部に参戦。冬は蔵王温泉上ノ台のロッジHICKORYで住み込みバイト計6季。府中⇔山形蔵王往復数知れず。死ぬほど仕事し死ぬほどスキーし死ぬほど酒飲んだ、まさに昭和の青春劇。
  • 8、 臨床実習の登院時サイコパス指導者に絡まれ忍耐力を涵養も怨念通じDrサイコ海外放逐。ヘンなヤツ率が高くて意味不明や理不尽が多い大学生活だったが、幸い仲間には恵まれ学生時代は楽しさが上回った。ただし、もう2度とやりたくない。
  • 9、 登院時の恩師を慕って口腔外科入局。業務実態はブラックだったが修行と割り切り苦にならず日々充実、寧ろ天職ゲット!と思う。無給につき勤務後は毎日夜間診療で一般歯科診療のバイト、これが外科バカにならず現在に連なる一般治療の良き研鑽となる。2年目に大学院入学。3年目東海大学医学部口腔外科に転籍、伊勢原市にて初の独居、不退転の覚悟で臨床と実験の研鑽に励む。治療方針を巡り各科の医者達を論破するハイレベルさに己の無知と無力さを痛感、謙虚に基礎から鍛え直す日々。この時の苦労が今の自分の骨肉となり同時期働いた多くのDrの現在臨床や学会のトップで活躍中。その知遇もかけがえなき財産に。臨床のほか研究(抗菌剤の体内動態)にもハマり、開業医ではなくこの分野で生きていく!という選択を自分の中で確立。大学院卒後米国留学を検討していた矢先に、父の不治の病の報せを訊く。
  • 10、 初給料でCBR400Rを購入。医局員時代はバブル全盛、バイトゆえ末席もバイト代は飲み代と旅行費にきれいさっぱり消え退局と同時に宴は終焉。債務もゼロ。
  • 11、 帰京後生家の港区麻布台に在住、デルタ・ブルースにハマり休暇には渡米しUSA中西 部と南部ほぼ踏破。黒人も音楽も大好き。
  • 12、平成3年9月1日武蔵境のTAIKOH小林弘ボクシングジムに開業初日にプロ志望で入門、元世界Jrライト級王者=小林弘会長の指導を受ける。ほぼ毎日通う。本気で新人王⇒日本タイトルを目指していた。
  • 13、開業にあたり同級生女子の矯正専門医2名を招聘(現在も継続)、当時は小児歯科専門 医も同じく招聘。ボクシングの為に一般診療の代診も招聘していた。
  • 14、父が理事だった滝野川の東京歯科衛生専門学校の講師を平成3年拝命。歯型彫刻実習 の講義を毎週行った。座学を外科後輩の吉野浩和Drに依頼。(令和元年に退任)
  • 15、平成26年からは中学同級生からの依頼により大田区の厚労省指定専門学校=日本調理アカデミーの公衆衛生学講師を拝命、こちらも外科後輩4人と共同担当。(令和元年学校閉鎖に伴い退任)
  • 16、ボクシングジムではフライ級からライト級相手に、好きなスパーリングを小林弘会長にたく さんやらせてもらった大恩あり。破格のパンチ力らしく次第に軽量級から敬遠され、相手は基本フェザー以上に、時に日本ランカーとも拳を交える。フライ級希望で手続き上の齟齬にてプロテスト受験失敗。後にJBC公認セコンドとしてスタッフに。所属選手の全試合にセコンドでリングサイドに立つ。1999年9月C曹仁柱vs山口圭司のWBC.Sフライ級タイトルマッチの世界戦でセコンド経験@両国国技館、初回に山口が出血以後バタバタして 試合を殆ど見ていない。12R判定負け。
  • 17、結婚33歳、嫁には奇特な人だと賞賛の嵐、大型免許を取り当時世界最速バイクZZR1100R購入も子供が生まれ興味は一気にそちらへ。(のちにZRX1200Rに機種変 /Kawasaki厨) 結婚式でLIVE演奏(D.Vo)現在は台湾勢SYMスクーター
  • 18、997年,仏W杯アジア予選でソウルまで日韓戦へ。初出場決まったジョホールバルの奇跡もマレーシアの現地で目撃。中学のポン友にチケット神がいて首都圏での代表戦やTOYOTA・CUPは大抵足を運ぶ。2002年日韓W杯は10試合観戦(韓国で1試合)。2001年からの味スタにおけるFC東京/東京ヴェルディの年チケ観戦とブログ万丈記連載開始、好事家間に話題となる。最も好きな選手は久保竜彦。
  • 19、介護保険の導入に際し制度勉強にと第2回介護支援専門員資格を殆ど一夜漬けで受験し合格。その後府中市の介護認定審査委員を拝命現在も継続中。歯科医師会では広報委員で会報製作20数年。父は会長も、愚息は理事経験なしが誇り。
  • 20、平成22年より日本歯科薬物療法学会評議委員を東海大でお世話になった金子理事長より依頼される。
  • 21、平成27年東京都府中市制60周年記念式典において福祉功労賞と保健衛生感謝賞をW授章。前者は10年間で数人しか該当されないレアなものだが、法人理事でもない自分のこの若さでの授章は歯科医師会内で非常に物議を呼んだらしい(笑)理由があるとすれば、どんな時でも医療人として患者firstの姿勢がブレなかったことへの評価だと思う。別に欲しかったわけでも狙ってもいないが、見ている人は見ているのだなと。寧ろ行政の人にはいろいろお世話になっているばかりなのだが。
  • 22、ラグビーのマウスピースは東芝ブレイブルーパス選手の試合用を依頼され紆余曲折、試 行錯誤のち現在の完成された方式に到達。TL3連覇の立役者=渡邉泰憲選手(故人)/立川剛士選手/森大輔選手/吉田大樹選手/塚越賢選手/ナタニエラ・オト選手望月雄太選手/仙波智裕選手には格別感謝!
  • 23、サッカー歴は高校から。卒後府中で社会人リーグを立ち上げ1部で数シーズンやった後解散、その後先輩が主宰する『武蔵倶楽部』から東京都社会人リーグに参戦。その後基盤を調布市社会人に変更し1部昇格。数年経過したところで長谷監督海外赴任にて自分に監督依頼あり現在まで活動継続中(調布市シニア40)、調布50では合同チームPHLCO50に加入、更に府中連盟のパウゼSC(40/50),東京都シニアリーグ40・2部(TML2)のFCマンモスで活動現在廃部)昔は4,5チームで同時に活動していたけど、今は 敢えてチーム数絞ってやっております。
  • 24、パウゼでは2009年リーグ個人MVP獲得(所属チーム以外の他薦で最高得票)、監督だった2010年3位、2011、2012年連続優勝、2013年勝点1差で準優勝、という金字塔達成、マンモスではカナリアリーグ2度優勝、武蔵倶楽部では2014年リーグ戦3位。でも成績より続いてることが一番凄い。
  • 25、交友関係は多岐に亘るも同業者は僅か。“典型的開業医キャラ”は生理的にムリ。故に付き合いあるDrはoutlawばかりも日本歯科大学75回卒ではなぜか同窓会幹事。
  • 26、蔵書数万冊の読書ヲタ(家人と合計)重症活字中毒(最近は目が疲弊しそうでもなくなる) とはいえ普通にドラマやお笑いも観たりする。最近コロナの配給金で4K65インチ買ってからはWOWOWとDAZN、Youtube以外殆ど観なくなった。
  • 27、クルマ好きが高じCAR検定1級合格歴あり。英独仏伊日瑞車所有歴。1989年F1イタリアGP(MONZA)で生のAセナ目撃。
  • 28、ビートルズ、ストーンズ、LZepp=全曲、ボブディラン、Dボウイーほぼ全曲音源保有。ハ ラカンダネックのWARWICK THUMB BASSとTAMAドラムセット一式所有。今なお現役で活動する史上最長活動歴のバンドTHE ROLLING STONESと同い年であることが 誇り。院内もBooDooLoungeで世界でも稀なStonemania clinicである。院内では終日 Jwaveが流れ夕方のピスト西沢GrooveLINE=Zで最高潮に。